自然に「食が不足しない状態」を保つのが望ましい - 拙著「新・日本通鑑2」より



 
その5より続きます。
 
 
話を縄文時代に戻します。縄文時代は何故、幸福で平和だったのでしょうか。
これは、繰り返しになりますが「衣食住の持続的確保」というのが、1つ目のポイントとなるでしょう。
 
今日の私達は、
食べ物はお金を出して買うもの
という常識に、完全に縛られています。
ですから、懐を痛めてお金を出し食べ物を購入することに、何の疑問も抱きません。またそのお金を得るため、必要以上の労働を余儀なくされることに全く疑問を抱きません。

しかし「食」とは本来、そうではありません。
自然の恵みを、タダで享受する
というのが当たり前なのです。
たかだか日々の糧を得るために、必要以上の労働を強いられるなど、あり得ない話なのです。70歳だとか75歳だとか、高齢になるまで毎日歯を食いしばって長時間労働・・・・冗談でしょ!?(^^;
 
動物は、食や住の獲得に最小限の労力しか費やしません。
一番不幸な動物はおそらく、人間に芸を披露してエサを貰うサルや、氷上でソリを引いてエサを貰う犬でしょう。
しかしながら、動物よりずっと優秀だと自惚れる私達人間は、それらのサルや犬以上に苦労して衣食住を獲得します。実にアホらしい・・・・(笑)
 
「食」とはそもそも、自然に手に入るモノなのです。自然に感謝し、自然を壊さないよう配慮すれば、ほとんど労せずして得られる筈なのです。貴重な労働の対価たる「お金」を払わなければ得られない、というのは少々奇妙な話、バカげた話なのです。
 
そう考えると、最小限の労力で衣食住を持続的に確保できた、縄文時代のような社会を目指すのが利口だと気付くでしょう。
 

  1. 縄文時代は比較的人口が少なかったため、自然の恵みが各人に充分行き渡った。
  2. しかも縄文時代は、今日以上に気候が温暖で、食に恵まれていた。だから、狩猟採集経済社会でありながら定住さえも可能だった。
  3. わざわざたくさん働いて田んぼ畑を耕す必要もなかった。ごくごく最低限の労働で充分だった。
  4. そのため社会構造の複雑化も起こらず、階級差や貧富の差が生じなかった。当然、不当な搾取も生じなかったと思われる。

 
これが縄文時代の特徴です。
ちなみに江戸時代は、
 

  1. 身分、職業の固定により、『衣食住の持続的確保』はほとんど問題なかった。
  2. だからそれなりに『幸福』だったし、争いも少なく『平和』だった。
  3. 社会が成熟していて、『富の偏り』も(今日と比べれば)少なかった。
  4. しかし人口が多かったため、その分リソース(食料や天然資源など)の絶対量が不足し、各人に配分される量が少なかった。
  5. だから(豪商など一部の人々を除き)皆等しく貧しかった

 
と言えます。そこから、
 

  1. 自然の生態系からはみ出さないレベルの人口であれば、『食の調達コスト』は最低限に抑えることが出来る。
  2. 『食』が不足すると、『食の調達コスト』が増大する。これが幸福度の低下に繋がる。
  3. つまり、なるべく自然に『食が不足しない状態』を維持するのが望ましい。
  4. 『食』のみならずリソース全体の配分を考慮すると、そこに『適切な人口』という概念が存在する。
  5. ということは、必要以上に人口を増やさないことも、社会にとって極めて大切なことである。
  6. リソース配分が適切であれば、幸福度の低下はある程度抑えられる。
  7. しかし高度な社会思想に基づいた社会システムでなければ、リソース配分の適正化は難しい。
  8. ・・・・

 
といったことが解ります。
 
結論。・・・・
人口はむやみやたらに増えない方が、良いに決まっているのです。
自然の生態系からはみ出さないレベルの人口に抑制するのが望ましいのです。そこに自ずと「適正な人口」というものが定まります。
 
それを超過すると、途端に「幸福度」が減少し始めると言えるわけです。「食の調達コスト」が上昇し労働時間が増えます。かつ人々は「生存の危機」を感じ、争いが増えます。そして「平和」が侵されます。
これは縄文時代と弥生時代と比較すれば、一目瞭然です。江戸時代と比較すると、もっとたくさんのことが見えてきます。
 
そう考えると、気付かされることがありますね。
 
今日の日本の少子化傾向というのは、極めて自然の摂理に適っているのです。
人口が多過ぎて生き難い社会となったから、自然の摂理に従い人口減が生じているのです。
「少子化は大問題だ。出生率を向上させなければならない。移民を受け入れてでも国内の人口を増やすべきだ」
という為政者の主張は、実は歴史の法則に反する「暴論」であると判ります。
 
もちろん、少子化がこれ以上進行すれば、日本社会は崩壊します。しかしそれは、歴史から何も学ばず「太古より培ってきた社会思想」を失い、
「社会とは常に成長、規模拡大し続けるものだ」
という戯(たわ)けた妄想のもと、社会をデタラメに構築し運営し続けた「ツケ」なのです。
 
解決策は、自然の摂理に反する「人口増」ではありません。
歴史に学び、「幸」「富」「平和」などについて考察するところから始め、一から出直すしかないだろうと幸田は考えます。大至急それに着手しなければ、社会の破綻は避けられないでしょう。
 
仮に、自然の摂理に反する「人口増」に活路を見出すとすれば、どうなるでしょうか。
その先には、
これまで以上に他国と争って、多くのリソースを奪い合う
という忌まわしき将来が待っています。つまり解決に至らないのです。「幸福」や「平和」から益々遠ざかる結果となるでしょう。
 
 
その7へ続きます。
 

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