「『イングランド上等兵』と同類に思われるおそれ」はないか?

イングランド上等兵、アブグレイブ刑務所における捕虜虐待、・・・イラク戦争における思い出したくもない事件だ。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89)

 

もし日本人が同じような仕打ちを受けたら、みんな黙っていないはずだ。

どこの国でも、自分の国の人間がこんな目に遭ったら、テロによる報復が増加するおそれ大だと思う。

イラクでは、今もなおこの事件のことを思い出しては憤りを新たにしている人がたくさんいると思う。

 

さらに考える。

もし「日本人も同類だ!」と思われ、その報復が、アメリカ人だけでなく、日本人にも向けられたら?

本当におそろしい。

さらに、もしその報復によって自分の子供が死んだら?と考えると、もう居ても立っても居られない。

果たして、そんな死は、自衛のための死、家族を守ったための死、と言えるのだろうか?

 

私は以前からこんなことを考え、日本は今後どうすれば良いか苦悩している。

この心配を現実のものにしては絶対にいけない。

 

こう考えながら、今の私にできることをしようと、デモ行進に参加した。

今の私は無力だが、もっともっと力をつけて、日本の進むべき針路の決定にしっかり関わりたい。

こどもーるで元気に走り回るこどもたちや大学の教え子たちのことも思い浮かべながら、改めて心に誓った。

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「対立」ではなく「解決してまとめる」政治を

よく「選挙は戦いだ」と言われる。

確かに現実にはそうなのだろうとも思う。

 

でも、選挙運動が誹謗中傷の応酬だけでは何も産まないと思いませんか?

また、国会論戦が足の引っ張り合いのような議論ばかり展開されていると、心底うんざりしませんか?

「税金使って無駄なことをするな!」と言いたくなりませんか?

 

私は、「対立する政治」ではなく「まとめる政治」を追及していくべきだと考える。

多くの国民もそれを望んでいると思う。

批判し合い、罵り合い、揚げ足取りばっかりやっているから有権者の選挙離れが起きているとも思う。

言わば「オール国民党」「オール県民党」の立場・気概で、多くの有権者が心底望んでいることを実現する政治、有権者の心からの叫びに本気で応える政治、解決策を具体的に提示し合う政治が必要だと思う。

かつて地方行政の現場に勤務し、さまざまな課題に直面していたときも「〇〇党でも△△党でもどこでも良いから、要するに本気でこの問題の解決に尽力してほしい!」と強く思ったものである。

 

世の中の多くの問題は、黒か白か、善か悪か、源氏か平氏か、敵か味方か、などといった単純な二元論では解決できないことが多いと思う。

「甘い」とか「素人だ」と言われるかも知れないが、私は「対立する政治」ではなく「解決してまとめる政治」が必要だと考える。

憲法第9条とその解釈の「歯止め」の意義をどう考えるのか?~ドラマ「男たちの旅路」のワンシーンを思い出しながら

現在の安保法案の議論では、憲法第9条について、主に集団的自衛権との関係が焦点になっている。

しかし、そもそも、9条とその解釈からなる枠組みは、単に集団的自衛権云々だけではなく、70年前の反省と教訓を踏まえ、戦後日本が戦争をしないための「歯止め」としての意義があったと私は思う。

だから、解釈を変えるなら、「歯止め」をどうするのか?ということがもっと議論されるべきだと考える。

 

ところで、私が小・中学校のときに大好きだったNHKの連続ドラマ「男たちの旅路」(脚本:山田太一)を皆さんはご存じだろうか?

このドラマでは、毎回、元特攻隊員の鶴田浩二と戦後生まれの部下たちとの間で、戦争について語り合う場面が出てきていた。

その第4部の第1話「流氷」の中で、私が今でも鮮明に覚えているシーンがある。

元特攻隊員のガードマン・鶴田浩二が、いろいろあって、仕事を辞め、雲隠れし、ひっそりと北海道で隠遁者のような生活をしている。

そこに、何とか彼を職場に連れ戻そうと、戦後生まれの部下・水谷豊が訪れる。

何度説得しても鶴田浩二は戻ろうとしない。

そこで、水谷豊は、彼に何をどう言えば戻る気になるか、考えに考え抜いた末、「特攻隊員だったあなたにはまだ責任がある」と言って、心を動かそうとする。

具体的なセリフは概ね次のようなものだ。

(上記のyoutubeの映像の50分を経過したあたり)

「それじゃあ(このまま消えてしまったら)始末がつかないんじゃないかねえ。」

「あの頃は純粋だったとか、生き死にを本気で考えていたとか、命をかけて日本を守る気だったとか、良いことばっかり並べて、いなくなっちまって良いんですか?」

「気が付いてみたら、国中が戦争をやる気になっていた・・・どういうふうにそうなっていくのか、まだ何も言わないじゃないか!」

「こういう風に、人間っていうのはいつの間にか戦争をやる気になっていくんだ、というあたりをしゃべってもらいたいね。」

「そうじゃないと、俺たち、本当のところ、戦争というのはそんなにひどいもんじゃない、案外勇ましくて良いことばっかりあるのかも知れない、って思っちゃうよ!それでも良いんですか?」

 

戦前の日本は、昭和16年12月8日に突然戦争を思いつき、始めたわけではない。

それまでのいろいろな経緯、例えば、

・軍部内閣ではない、政党内閣であった大隈内閣の対華21ヶ条要求

・満州事変

・松岡洋右外相の国際連盟脱退(当時の世論は松岡を「ジュネーブの英雄」と讃えた)

・日独伊三国同盟

などの積み重ねの上に開戦がある。

その間、対中内政不干渉政策をとった内閣は世論から軟弱と罵られ、軍縮を図った内閣は軍部だけでなくマスコミなどからも責められた。

 

当時、既に普通選挙に基づく国会は存在していた。また、あの戦争はあくまでも「自衛」のためだったと当時の政府要人は述べていた。

このことは、

・国会承認は決して「歯止め」にならなかったこと

・「自衛」のためという考えも「歯止め」にはならなかったこと

を物語っているのではないのか?

 

既に衆議院を通過し現在参議院で審議されている安保法案について、「国会承認が「歯止め」だ」という説明がなされているが、かつての日本では国会は「歯止め」役にならなかった。

また、かつての反省の上に設けられていた「歯止め」の一つ、防衛大臣の意思決定プロセスの中の「文官統制」の仕組みも、本年6月、防衛省設置法の改正によりなくなってしまった。

http://www.47news.jp/CN/201506/CN2015061001001123.html

 

70年前の反省・教訓は一体どこに行ってしまったのか?

この点について、もっともっと国会で議論されなければならないと考える。