自然に「食が不足しない状態」を保つのが望ましい - 拙著「新・日本通鑑2」より


 
その5より続きます。
 
 
話を縄文時代に戻します。縄文時代は何故、幸福で平和だったのでしょうか。
これは、繰り返しになりますが「衣食住の持続的確保」というのが、1つ目のポイントとなるでしょう。
 
今日の私達は、
食べ物はお金を出して買うもの
という常識に、完全に縛られています。
ですから、懐を痛めてお金を出し食べ物を購入することに、何の疑問も抱きません。またそのお金を得るため、必要以上の労働を余儀なくされることに全く疑問を抱きません。
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「能力社会こそ善」というウソ - 拙著「新・日本通鑑2」より


 
その4より続きます。
 
 
学者先生方は、
「江戸時代は徳川家が『保身のために』厳格な階級社会を構築した」
と曰(のたま)います。しかしこれは半分誤り、残り半分がインチキです。
 
徳川家康は自らが苦労した戦乱の時代、下克上時代を省み、争いのない平和な社会を構築しようとしたに過ぎません。
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「階級社会は悪」というウソ - 拙著「新・日本通鑑2」より


 
その3より続きます。
 
 
江戸時代についてもまた、私達はマルクス主義史観に基づく「虚構」を刷り込まれています。
江戸時代には、確かに「士農工商」という身分差がありました。しかしそこに、マルクス主義史観の言う「階級闘争」などほとんど存在しません。「士農工商」は、階級というより「区分」に過ぎないのです。
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「衣食住」が満たされないから「争い」が生じる - 拙著「新・日本通鑑2」より


 
その2より続きます。
 
 
争いが生じる、平和が侵される最初の要因とは、
「衣食住、とりわけ『食』が不足、欠乏すること」
です。
「衣食住」とは即ち「生存の条件」を意味します。生存の条件が充分満たされないと、人は本能的に危機感を抱きます。そして危機感から逃れるために「争い」が生じるわけです。
 
「衣食足って礼節を知る」
という言葉があります。衣食住即ち「生存の条件」が満たされているからこそ、「礼節」を識るに至る。礼節を識るからこそ、無用の「争い」が減る。実に、理にかなった格言だと思います。
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「平和である」ということ - 拙著「新・日本通鑑2」より


 
その1より続きます。
 
 
「平和」とは、なかなか奥の深い言葉です。概念です。
 
戦後日本は憲法に「平和主義」を掲げています。そして確かにこの70年、戦力による争いを一切起こしていません。ですので、
「日本においては平和が保たれている」
と言われれば、その通りかもしれません。
 
しかしその一方で、争いを徹底して避けるがため、譲歩につぐ譲歩を重ねています。
また、終戦直前に奪われた北方領土や戦後に奪われた竹島を、未だに奪還出来ていません。争いを避けるべく「問題を棚上げ」とした尖閣問題は、ここにきて再燃しています。従軍慰安婦問題しかり、です。
 
政治力に乏しく、欧米や周辺諸国に平身低頭。その癖、国際的な発言権を確保しようと、途上国には援助という名目で大金をばら撒き支持を取りつける。・・・・
こうして大いに国益を損ねています。
そういった日本の現状を見る時、本当に「平和だ」と言えるのでしょうか。
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「和(やわ)す心」という社会思想 - 拙著「新・日本通鑑2」より


 
日本の歴史を眺めつつ感じるのは、
「太古の日本は極めて平和だ」
ということです。
 
他国の歴史書と大きく異なり、戦乱らしい戦乱の記述がありません
強いて挙げるとすれば、荒ぶる神スサノオが高天原で暴れまわった、とか、国譲りのエピソードにおいてタケミカヅチが、オオクニヌシの子タケミナカタと力比べを行い信州諏訪まで押し出した(笑)、といった程度です。
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